人はどんな状態になろうが、何かが成せる

かなり前に寝たきりの生命科学者と
耳も目も失ったバリアフリー研究の学者の対談を観ました。

難病の生命科学者さんは
発病以来何十年も寝たきりです。

怠い、苦しい、その中で何を成せるのか
一度は尊厳死も考えたその中で本を執筆するという希望に自分の命を使うことを見出された方。

 

バリアフリー研究の学者さんは
成長するにつれ、視覚をそして10代後半には聴覚をも失っていかれました。
その中で、障がい者である当事者自らが
研究せずなんとする、と東大の学者となられた方です。

因みにバリアフリーとは
それぞれのシュチュエーションにおいて
その場所場所の当事者ベースに建物や動線を初めとして、誰もが使えると言うコンセプトを基盤とした、日常に纏わる総ての再デザイン化だとわたしは思います。

故に、高齢者、障害者に特化した課題ではなく共生を目指す社会の構築の根底をなすものである、
そう、わたしは認識しています。

 

 

さておき、お二方の対談の中で、
精神科医のフランクリン※が提唱した
(※ナチスの収容所の体験記”夜と霧”が有名。
「生きる」ということはその生に意味を見出すことだ、と提唱した)

人生の意味とは=苦悩−絶望※ではないか、
と説明される中で、(※苦悩から絶望を取ると、
あなた自身への真の試練が乗り越えられる、という意味かと
思われます)

”生きていること=喜び”
「これを頭に置いてください」と
生物学者の方が言われた時、

 

いや、
それは心の真ん中に置くべきことですね

とバリアフリーの学者さんが言っていたことが印象的でした。

なぜなら大切な言葉を頭ではなく心に置くことで、視覚がないなら聴覚で身をたてようとバンドを組み青春時代謳歌している時に、聴覚すら失うのだ、と宣告された絶望感をこの方は乗り越えてたのだと。

また、聴覚、視覚がないからこそ、
何かが更に鋭くなります。
だからこそその頭ではない、心に置くのだ、というとても重要なことに氣づかれたのだな、と。

 

今、社会不安(コロナ)の渦に巻き込まれている、
これは災害時に似ています。
311の空氣間にとても似ている。
また戦時中の雰囲氣にも似たようなものを感じます。最前線の人に応援メッセージ=兵隊さんへの手紙、極端な自粛ムード=贅沢は敵だ、的な。(最前線の方々に必要なのは充分な防具と実質的な援助(賃金や保証、休息)差別、偏見を持たれないこと)ですので、スカイツリーの応援電飾等より、そちらに政府もマスコミも尽力して欲しい)

 

人と接触八割減、が、目標にされ、やれパチンコ店が営業してる、とかヒステリックに標的にされてますが、八割は手段の一つに過ぎず、目的はコロナが流行り甚大な生命が失われないこと、です。

なら、その状況のフェーズごとに手段は変わるものだし、一つの手段に固執したら違うと思います。何やらマスコミは固執して客観的な視点を失ってる。

 

それに煽られて、

楽しんだらイケナイ。
あの人はみんなが苦しんでいるのにタノシンデイル。
自粛しなくてはイケナイ。
触れ合ってはイケナイ。
その鬱屈した心は余裕のないギスギスした空氣を産み出してまたその影響を受けて…

という、暗く閉ざされた状態へ。

ヒトは哺乳類です。恒温動物です。
温かく体温を保たないと死んでしまう。
心も体も、温かい=生きている、です。
三密があかん、離れろ、ソーシャルディスタンスを保て、それは生きながら死んでくれと言わんばかりの話です。

なぜなら孤独になれ、と言うことだから。

 

そのストレスから逃れたいなら、触れ合うこと、です。
ネット飲み会などではその温かさは幻覚にすぎません。
(氣ばらしにはなりますから、楽しんだら良いと思いますが)なんと言うかな、カロリーゼロ、です。脳だけ騙してる。(カロリーゼロは、甘い物を飲んでると脳は認知するので同じように体に作用を命じる、と言う話もあります)

だから今こそ、家族がいるなら触れ合ってください。頭を撫でる、肩に手をそっと置く、目の前の人をただ見つめる。
ペットと触れ合う、本物の体温を感じること、感じてもらうこと。

 

一人暮らしなら温かなお湯にゆっくり浸かり体を温める、湯たんぽを抱える、自分をよくマッサージする、
をされることを、
わたしは推奨させて頂きます。

 

また前記したフランクリンはあのアウシュビッツに2年間いた訳ですが
それはもっと極限の状況でしょう。

看守の氣まぐれ、たまたまつまずいた時に看守の視界に入った、それだけで役立たずと殺されてしまうような環境なのだから。

そこにいてフランクリンが見出した精神的にダメージを比較的受けなかった人、
それはやはり心の真ん中に大切な言葉を置いている人でした。心が自由な人でした。何がどうあろうが、心の中の大切なものを失わなかった人。
言い換えれば、自分を持っている、ということです。
その極限で究極の状況を生き抜いたフランクリンは、だから言ったのです。

 

人生に意味を見出せ、
どう、あなたは生きるのか、
それを持て、と。
何か他者から讃えられる業績をあげたことが何者かになった証明ではなく。
どう生きたのか、が、何者になれたかの証なのだから。また何かを成した証でもあるのです。
あなたが、あなたを生ききった、
それこそが何かを成した偉大な業績ではないでしょうか。



今、わたしには、
コロナウィルスの実際被害以上に、
そうした互いを見張り合う、攻撃し合う、
または不安感、孤独、差別、偏見、それらに皆さんがやられている感じがします。

コロナになったら、
労りと治療を受ける患者であって、
差別される人、差別を受ける家族、
にしたらあかんです。ましてやコロナになってすみません、とか意味わからん。
病氣は病氣。ウィルスも人も生きようとして交差しただけ。誰も悪くない。
また病氣の本人や医療従事者を、伝染する怖さから家族までを含み差別するなんてとんでもないこと。

怖さを感じたら、
「怖いのはあの人、ではなく
わたしは感染が怖いのだ。怖いよね…だから感染予防の対策はとる。
けれど、あの人が怖いのではないと思いださねば」ですよ!!

 

起こってしまったこと、災害、物事、これは変えられないですが、
心持ちは変えることが出来る。
いやしなくてはいけないのだ。

 

だから、
あなたはどうする?
どう、生きる?
そうフランクリンは言っているのだと思いますし、わたしも強く思います。

 

この様に
苦しいこと、希望が見出せないこと
悩みから抜け出せない夜、
終わらない悲しみ、
闇のような孤独、
そんな時もあるでしょう。

 

でも、何か、あなたが、あなたを勇氣づける言葉を持っていたならば
その言葉をただ、
心に持って言ってみてください。
そう、両手も胸にそえ、
ここに居て、と頼みながら
固まった胸も温めてあげながら。


悩みの渦中にいる時は、
そんな優しい言葉はどっかに行ってしまっているはずです。
取り戻さなくてはいけません。

 

「状況は相変わらず、ちょっと手で胸が温かくなるだけだよ。」

そうかもしれない。
でもね、その小さな灯が、
あなたの生きる力への小さな一歩であり、あなたの心を温める光だ。
一歩が進めない人に次があるだろうか。
人生はその積み重ね。

ちょっと試してみてください。

 

またしつこいようですが、
自己回帰セッションを受けた方は
ご自身の在り方、
あなたの人生の歓び、
あなたを人生を満たすモノ(充実)
この三つの言葉をお渡ししました。

 

これを心の真ん中に常に置きましょう。
それがアナタに還る言葉です。
出来たらわたしが記号の様に書いたあの状態で。

軸がないから、頑なになるのです。
芯があればしなやかに肩肘張らずに柔軟に動くことが出来る。

 

また、あの形は安定する意味を持つ、
ある意味三位一体ということでもあるのです。三位一体になった時、物事は支え合い安定し循環へと向かう。

 

ま、これは直ぐにはわからんでもいいです。続けたら、あ…こういうことか、といつか氣づくかもしれません、その日までやることです。氣付きや知識、そして理解とは、追いかけるものではなく、
努力の先に迎えるもの、なのだから。

 
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