揺れ動く、気持ち、悩みがあることは悪いのか

揺れ動く、気持ち、悩みがあることは悪いのか
それは当たり前のこと、です。

世の中、他人から見たら成功した人も
肩書きを持つ人も
人格者と呼ばれた人も
誰しも悩みと揺れ動く気持ちと無関係ではないでしょう。

なぜならそれが人間だから。

と言うか生きる、とは、時にさざ波、時に大波と変化する海を航海していくものだから。

しかし悩んで閉ざされた心の持ち主は
トラウマにより守りが檻になってしまった人は、

悩みや傷が癒やされたら、どんな完璧な世界があるんだろう、
きっと完璧なわたしが出現する

そんな幻想にしがみつきにます。

いつか癒やされたら…
本当の自分が発揮されたら…

世の中は完璧で、自分も完璧で、
いつも羨んできたあの人の様に、なる。

いやいやそれをも超えてみせる。

完璧か、素晴らしい自分こそ、本当の自分、ありのままの自分、であるのだ、と。

いえいえ、これは悪夢です。
なぜなら完璧な人も完璧な世界もないから、です。

叶わない妄想の中にいることこそが一番不幸なのだから、これこそ最悪のドリームといえるでしょう。

しかしこの悪夢は幻想ではなく、
自己啓発セミナーや心理的セミナー、スピ的セミナー
コンサルでは出現するですな。将来像として…それを信じさせられるような演出が施される。ハイ状態として、その気にさせられる、と言うか。

でもそれは躁鬱状態の躁と同じ。実に不安定で異常事態のソレ。効果が切れたら倍の鬱が襲ってきます。

麻薬を使ったらハイ状態になれる仕組みって自分の脳内にあるドーパミンやセロトニンが大放出されるだけで、自らのホルモンを使い切ったら次に脳が作り溜めるまで薬物を使用しても再びハイにはなれないのよね。

完璧な世界、それは簡単に時勢に乗って言えば、完璧な世界があるなら、セオリーさえ守ればコロナが完璧に制御出来ると言うことです。自然を完璧にコントロール出来るいうことです。

そんなことはありません。

コロナは半生物のウィルスです。自然の命と意志は自然のもの。ウィルスにはウィルスの命があり、ウィルスの戦略がある。人間とは別の意図がある。

それをコントロールなんておこがましい。今の地球環境に対してしてきたこと、持続可能な経済成長、というアイディア。コントロールされた世界、です。

これは左脳のみで出来た世界のセオリーで、右脳と言う自然の世界では成り立ちません。

しかし宇宙は左脳のセオリー、右脳のセオリーと陰陽2つのバランスが取れた時におこる第三の道のシフトにより、新しい道が開けます。即ち一つのセオリーだけでは行き詰まる道しかありません。

左脳の世界、それはオール電化住宅のようなものです。
一年中同じ気温と湿度で快適に。しかしもし慣れきってしまったら一生そこから出ないのか、または出たら不快だ、これは違う、と外すら完全にコントロールしようとして世界に戦いを挑み、足掻き続けるのでしょうか。

と言うか、その快適なほんの僅かな世界の中しか体験せず、夏の暑さも知らず、冬の切れるような空気も味わえない。凍える冬を知ったから春のほころびの芽生えを待つ楽しさも、知らない。そして身体は解毒の春、解放の夏、蓄えの秋、熟成の冬、と言うサイクルを体験して巡るのに、同じ気候では巡れない、滞ったままの生き物でいる。

心も同じこと。

悲しみを知らなければ愛はわからない。
愛がわからないなら、孤独の寒さも嫉妬の苦しみしらない。
苦しみや悲しみを知らなければ、誰かの為にと他者に手を出して心を通わせようと誰がするのでしょうか。

またそもそもあなたは誰かからコントロールされてきたから苦しいのではないでしょうか。ならなぜ、自分以外の者を、地球を、そして自分自身をコントロールしようとするの?

ですが変な自己啓発やスピリチュアル、心理学風はそう言うこと囁いてきます。

苦手はやらなくていい
嫌な人とはさようなら

わたしを見なさい。好きなことだけ、をして(好きなことを仕事にして?)好きな人に囲まれてる、これが幸せ、と。完璧な世界、と。

いやいや、それは完璧な世界ではなく、エアコンの中にいるだけ。自分と自分と同じ自分の心の檻の中にいる交流出来ない人と連んでいるだけ。

心理療法がもたらす効果は、世界の中で、心を開き、他者と交流する能力を再び取り戻すこと、です。

そして社会の中で、ありのままのあなた、が、ありのままの世界を捉えるようにすること、です。あなたがありのままで許されるのだから、他者や世界もありままを容認しなくてはいけません。

だとしたら、あなたの思うがままの世界があるがままの世界の訳がないのです。

ありのままのあなた、も、ありのままの世界も、それは左脳的右脳的なセオリーが2つある世界です。右脳はコントロールではなく、感じる、しか通じません。

左脳、右脳共にバランスをとり、今まで過剰に反応してきたこと=過反応、また逆にあまりに目に入らず見落としてきたこと=心理的視野狭窄そこから抜け出すこと。

だからコンプレックからくる、実は偉大なる完璧な人物、と言う固定された自分の心の檻の中の幻想から抜け出すこと、も立派な効果。

だから、揺れ動くあなた、で、居てください。
誰もが揺れ動いています。生きている限り。

しかしながら、あの人は何か違う。

あの人は芯がある。

そう見える人、それは揺れ動く自分自身を受け入れて、揺れ動くあなた自身(他者)、を受け入れているから、です。左脳と右脳の両方のバランスを揺れつつも包括してとろうとしているから、です。

動いているようで静止しているよう、それは駒が回転している状態です。
もし回転をやめたら駒は倒れてしまう。

自ら変えられる物は改善しようと努力し、手放すものは手放し、受け入れるものは受け入れる、それの選択を間違えていない。そうして誰もが揺れ動く中で生きている。揺れ動く弱さも強さも知っていて、そこから逃げずにいるから、です。

そうでなくては受け入れられない。

それが本当の覚悟であり勇気でしょう。
そしてその経験がまたその人の強さになります。

ですからまとめてみましょう。

芯がある人、凛とした人、とは、
悩みがないから、ではありません。
弱さがないから、ではありません。
出来ないこと、がないからではありません。

なぜなら悩みも弱さも出来ない、も、

助けて、と人に頼める、自分の弱さを他者に曝け出す強さがあるからです。またしてもらったことに正当な感謝が出来るから、です。見栄や強情を張って弱い自分を隠したりひたすら我慢して自分でやる、と心を閉ざすことはしないから、です。

そして自分を受け入れ、他者も受け入れているから真の孤独はそこにありません。
人に手を差し伸べるとは、誰かを助ける為だけではありません。
時に助ける側である時もあれば、助けられる側でもある。
そこを忘れて何かをたった一人で抱え込んでしまうことは、心を閉ざすことです。

心を閉ざしてしまったら、誰かから助けを差し伸べられても気づけません。

悩みってぐるぐると同じところに居る状態です。

たった一人でそこから抜け出れない。
そこから出る為には、もちろん、本人の力が一番肝心なのだけど、
応援だったり、本人が気が付かない何かを誰かが見つけてくれること。

それはその人が優秀でないから、とかでなくて、例えば身長が低いから目線が違って発見できた、とかそういうこと。

だから背が高いなら高いことで出来ること、低いなら低いからこそ出来ること、それぞれがそれぞれの役割を発揮できる環境作りが望ましい。

そして、その場を作るためには、作り手がすることは、心を開くこと、です。

時に助けて、と言えることです。
そして助けてもらったら、ありがとう、と心から感謝出来ることです。

そこが素直になれない、それはきっと何かを隠したいからかもしれないね。他人には隠してもいいことはあると思います。でも自分自身にも隠したら、それはダメよね。

それがあると心は開けない。
それでは芯がある人とは言えない。

わたしはやはり、良い人、でもなく、
周りから評判の人でもなく、
わたしという人間を生き切った人こそ、幸せな、そしてぶれない人だと思います。

ぶれない人とは、揺れ動く気持ちがない人ではなく、
揺れても、揺さぶられても、自分自身に還ってこれる人のことです。

だって自分では思いつかない考えや意見に触れた時に起こるからです。

それがあって、人は成長するのでしょう?それを否定して頑なに同じことしか言わない、しない、考えないじゃ単なる頑固な人でしょう。

時に、揺れて、揺らいで、そして還ってきてくださいな。
あなた自身へと。

 

揺れ動く、気持ち、悩みがあることは悪いのか
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