結果を、目的や目標にしたら、
いけないのです。
物事は
うまくいこうが
いくまいが
それと対峙する、
し続けてる過程にこそ、
意味がある。
結果が目的になってしまったら
あなたは動けるのだろうか?
動き出す前に、
失敗するかも、しれない。
上手くできるだろうか。
前の自分より?
それともライバルのあの人より?
という妄想や、余計な思考で
自分のエネルギーを
ただただ、無駄に消費しないか。
恐怖を、自分で産み出していないか。
不安を、自分で作り出していないか。
結果、動き出そうとした、
足を止める。
動く前に、もう自分の妄想に
やられるわけだ。
で、動かない自分を責めたり
他人に責任転換したりする。
自分で、自分を負けさせたのに。
なんだってやってみなきゃ
わからないじゃないか。
考えて欲しい。
動かないことで、誰が損をするか。
動き出そうとして
結局しなかった自分じゃないか?
チャレンジすらしなかったことを
あなたは後悔しないのか?
するとこんな風に言う人がいる。
疲れていた、
用事があった、
たまには休みたい。
ああ、そうだね。
でも疲れた時、
しなきゃいけない何かが
あった時にやれ、
なんか言ってない。
休みたい時は休んでいい。
そう言って、過大解釈して
やらない理由に変換して
それを積み重ねて
積み重ねて、
積み重ねて、
誰を裏切っているかを、
わかって欲しい。
それは、他でもない、自分自身。
本当に結果じゃない。
宝物があるのは、過程だ。
だって、過程こそ、人生そのもの。
どうしたら、上手くいくかな
ああ、したら、こうなった
では、次はどうしたら
その自らの考えの試行錯誤の中に。
その時は失敗したり、
そんなに良い結果が出なくても
何かまた別の、
全く違う場面でふと役にたったり
他の知恵と繋がったり
諦めずやり続けた自分自身への
信頼と自信になるでしょう?
セラピーもそうです。
キーポイントの感情を受け入れたり
昇華することは大変有効。
それ以上に、過程の中、
そこにヒントはいっぱい転がってる。
そこを通ることに
意味を見出せたら、
前に進める。
と、セラピストとして活動を
通じて感じたこと。
セラピー最終日、
不安が大きくて不安がっていた
クライアントさんに
ご自身の悩みを覚えてますか?
と、聞いたら、
なんだっけ…
あ、忘れちゃいました
と、言われたのが、最近の一番の成果。
それで、いい。
そう、色々な心理系の本やら
スピリチャルやら自己啓発系の
ブログやら本やらセミナー、
そんなのすべて忘れて。
自分の本当に、したいことへ。
自分のすべきことへ。
あなた自身の人生へ。
時に休憩しながら
休んだら、本氣を出して
人生歩んで欲しいな、と
思うわけです。
だから わたしは、
あなたの最後のセラピスト、
に なりたい。
結果なれているか。
なれていないか。
結果を求めてないから邁進するだけ。
ただ、わたしの目標として、
そう、日々自分を精進しています。
そして
今から、
ここから、
いつだって
新たな人生を歩みだして欲しい。
そう思って、
だから、わたしは
あらた、と名乗っています。
そして、心理セラピーで
わたしの目からも涙が溢れる。
あなたが苦しみにいる時は
わたしも共に、苦しい。
わたしはあなたに、
レゾナント(共鳴)するから。
あなたは、一人じゃない。
わたしが、側に、居る。
