あなたはどんな人と一緒に居たいのか、誰と人生を歩みたいのか

自分は不幸である、そう思っている時に、”自分自身が選択できるのだ”
ということを忘れがちです。

人間の幸福度はこの主体性の割合によって決まっている、
そう主張する心理学者もいるぐらいです。


わたしは何をして生きて行くのか
どんな暮らしを選択し、

何を大切にして
何を嫌だと感じるか
何を味わいたいと思うのか

と、同時に
とてもとても大事なこと

それは
誰としたいのか
どんな人と
どんな事を大切にして
何を嫌だと感じているか
何に情熱を持てる人と

共に仕事をし、
遊び、学び、
共に生きて行くのか。


あなたは、
どんな人と生きたいですか。

あなたはそれを選ぶことが出来る。
そしてそれについてちゃんと考えなくてはいけない。


わたしはですね、自分がちゃんと
自分の人生の主役として
責任と覚悟をベースに持ち、

自分も他人も、
そして生きとし生けるもの
すべてに尊敬と感謝を持てる人々と
生きていきたい。


その為に、
偽りの友人、偽りの仲間が消えて
独りになっても構わない。

足を引っ張り合う
傷を舐め合う

表向きは笑顔で、裏では悪口言う
そんなつるむだけの集団や
グループからは離脱して構わない。

わたしは一年以上かけて、
そうした関係から離れて行きました。


今、最後の関係を手離すべく
実行しています。

孤独か?
一人でいる時間は多くなりました。
お付き合いがなくなったから。

でも、体験して思うのは
孤独以上にウソの関係を続ける
虚しさと、そこから回復する為の
氣力と体力の消耗がいかに無駄だったか
を感じます。


そんなファストフードの様な関係は
もう、わたしには必要ないです。


具体的に言うと
わたし、ごはんをいい加減にする人が一番ダメなんです。

そういう場合、約束した日から憂鬱になって
会った後もしばらく氣分が優れない。
会うのはランチなら3時間から5時間ぐらいだけど、
その前後の憂鬱な時間を考えたらどれだけ嫌な氣分で
自分の人生を覆ってしまうのか考えただけで恐ろしくなります。


お腹いっぱいなのは、いいの。
食べれる量は人それぞれ。
なら、持ち帰ればいいじゃないですか。
または自分が食べれる量だけ注文する、
食べれない量は他の人に譲る、
お店の方へ最初からお願いする手もあります。

また食べていても食べ方が汚い人も苦手です。
魚の食べ方が下手な人とかね。
こねくり回して終わり、とか。

せっかく焼きたて出しても
だらだら話していて
その氣遣いがわからない人とか。

料理人と、料理の為に死んでくれた命
双方に尊敬も感謝もない。

それはご馳走さま、も
いただきます、も
本当の意味では言えない人。


「ごちそうさま」は、料理を作るために
走り回った料理人への労いの言葉。


「いただきます」は、
お百姓さんや漁師さん、
育てた人、狩をした人、
そして、”命”そのものに
命を頂く、感謝と許可を願う言葉。

食べることは、”死”を”生”へ
と 変容させること。


なので、わたしはもうプライベートで
本当の「いただきます」と
「ご馳走さま」がない食卓は
囲むことがないと思います。


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