心理学ではありませんが…最近の”量子力論”について思うこと

何やら、スピリチャルや自己啓発系の界隈で
量子力学の話がちらほら、と。

 
量子の王ことボーアの弟子ハイゼンベルクが
発見した不確定性原理による、

ボーアのイメージする実在は、観測されなければ存在しないようなものだった。コペンハーゲン解釈(コペンハーゲンを本拠地とするボーアが中心となって作った量子力学解釈)によれば、ミクロな対象はなんらかの性質をあらかじめもつわけではない。電子は、その位置を知るためにデザインされた観測や測定が行われるまでは、どこにも存在しない。速度であれ、他のどんな性質であれ、測定されるまでは物理的な属性をもたないのだ。
 
量子革命ー―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突
(マンジット・クマール著、青木薫訳、新潮社)ー引用終わり


2重スリット実験に始まる観察者=意識、
とかなんとか。
 

多くの物理学者たちは、「今回(1935年)もまたボーア=アインシュタイン論争の戦場から、勝者として帰還したのはボーアだと考えるようになった。量子力学が非常に役に立つ理論であることはとっくの昔に証明されていた」からである。ほとんどの物理学者たちは、着実に成果を積み上げていく量子力学を使うことで忙しかったのだ。

「量子力学の解釈に関するふたりの論争は、突き詰めれば、実在をどう位置づけるかに関する哲学的な信念にかかわっていた。世界は実在するのだろうか? ボーアは、量子力学は自然に関する完全な基礎理論だと信じ、その上に立って哲学的な世界観を作り上げた。その世界観にもとづき、ボーアはこう断言した。『量子の世界というものはない。あるのは抽象的な量子力学の記述だけである。物理学の仕事を、自然を見出すことだと考えるのは間違いである。物理学は、自然について何が言えるかに関するものである』。アインシュタインはそれとは別のアプローチを選んだ。彼は、観測者とは独立した、因果律に従う世界がたしかに実在するという揺るがぬ信念の上に立って量子力学を評価した。その結果として、彼はコペンハーゲン解釈を受け入れることができなかった。『われわれが科学と呼ぶものの唯一の目的は、存在するものの性質を明らかにすることである』」。

量子革命ー―アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突
(マンジット・クマール著、青木薫訳、新潮社)ー引用終わり

 

故に、新しい法則である”量子的”解釈は、
精神世界(スピリチャル)の考えを科学的に証明しており、
つまり世の中は”意識”の持ちようが肝要である、と。

 

確かに、それ、は あるのです。
わたしが使うワークの中に、
その量子力学的体現あるから。
”セラピストが観察者である”、と。

 

しかし、だから意識が大切、というより
意識だけが大切、ワクワクしていよう、
好きなことしよう的な単純な解釈は
あまりに短絡的であると言えましょう。

それは、科学的な観点からも。

なぜなら、現在の物理学の世界では
量子力学も完璧ではなく、
アインシュタインが負けた訳でなく、
(世紀の発見:アインシュタインの予言した重力波)

アインシュタイン予言の重力波初観測 宇宙創成の謎解明に有力手掛かり | Science Portal - 科学技術の最新情報サイト「サイエンスポータル」
 アインシュタインが100年前に存在を予言した重力波を初めて観測することに成功した、と米大学を中心とする国際実験施設「LIGO」の研究チームが日本時間12日未明、ワシントンで発表した。LIGO が1

共に両立すると言う解釈になってます。

そもそも、ボーアをはじめとする
コペンハーゲン解釈(量子論)が
アインシュタインの指摘にどう応ずるか、
という刺激が量子論を更に飛躍的に
発展させた一翼を担っていたから。


つまりアインシュタインの反論が量子論を鍛えたと言っても過言ではないからです。
それはアインシュタインが天才だったから、とだけ考えるのではなく
アインシュタイン達が証明してきた、実存の法則、即ち古典力学も

紛れもなく自然界に在る法則なのだからと考える方が理にかなっています。


結果、古典物理学も、量子力学も共存している、ということ。

つまり法則は2つあるのだという、こちらが重要です。


一部のスピリチャルや自己啓発の解釈は
量子論の自分に都合の良い部分だけ抜き出し、
まことしやかにそれこそが世界の法則だ、としているように感じます。

それは非常に世界が狭く歪んだ自分勝手な視点です。

そうではなく、どこの領域が量子の世界であり
どこに古典物理学の力学の範囲なのか、
そして両者を利用した先に大きな世界観の理解こそが
社会事象を読み解こうとすることこそ
”新しい世界のとらえ方”だとわたしは思います。
 

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