我が家では今年が最後のクリスマスでした。子どもがサンタを信じなくなったから卒業ということで。
2年ぐらい前から君は、
少しづつ友達たちからの噂や、会話で、
サンタが居るかいないか揺らいでいたけど。その度に、わたしがサンタの代筆をしたりして、「やっぱりいるんだ…」その手紙を握り締めては喜んでいたね。
けれど今年はもう、
サンタクロースのこと、
プレゼントに関して君は何も言わない。
だからわたしは沈黙を守ることにしたのさ。
いつもなら早く言わないとサンタも発注に間に合わないよ、なんて会話を毎年してきたのにね。
だからお母さんは決めたんだ。
今年は黙って君の欲しがっていたものを手に入れて明日そっと枕元に置いておく。
そのプレゼントには、こんな手紙を添えてね。
Dear君これはお母さんサンタからの最後のプレゼントだよ。今迄楽しかったね。
君は毎年サンタクロースに夢を託し、お母さんは君をワクワクさせることを心から楽しんだ。素敵な時間と思い出をありがとう。
心から感謝している。もう君は、サンタクロースを心から信じる歳を卒業した。けれど今も、今日と言う日はサンタクロースに夢を託す子どもの日。
世界中の子どもに愛が届きますように。
そして君の更なる成長を祈って。お母さんより

どんな氣持ちで親が毎年迎えていたかを
伝え、感謝を持って、次への成長の扉を開けたかったから、です。
本来節句や元服、成人式とは
そうしたものだった訳で。
終わりよければすべてよし、とは、
始まりと終わりをきちんと区切りをつけていくこと。
それは脳の機能を活用した大切な想い出アルバムに大切にしまうことが出来るからです。そうしたら今までクリスマスの度にそわそわワクワクした想い出、それが子どもにとっての楽しかった嬉しかった想い出を上手く熟成した結晶へと。
それは即ち、
サンタクロースは実在しないけれど、
サンタクロースに代わって親が自分を愛してくれたカタチの象徴として残される。
”なんだ…
サンタなんて居ないんだ、がっかり…”
これで終わらせないこと、
これが親の役割でもあるのだと
わたしは思いますよ。
だから、見張ること、
放任主義では家族は作れません。
見守り、必要な時は氣づいて側に、
また必要なタイミングで声掛けを出来る
氣配り、心配り、と言う適切な手入れがあって初めて家族は成り立ちます。
(家族、と言っていますが、最小社会単位を表していますから、会社、サークル、部活、なんでも、それに当てはまります。
その維持状態にこそリーダーの素質が問われることでしょう)
次の子どもの記事は
『思春期への君へ』
と題しまして、性のこと、
第二次反抗期の役割や意味、対処法
などを少しづつ書いていきたいと思います。
