緊張したがちがちの状態は常に緊張した状態でしょう?
それが解除される。それが緩む。
開いた心と身体を持たねば本当の意味で視野は広くなりません。
ちゃんと開いた眼差しで世界を見たら、他者のことも見えてくる。
他者(他人、物、すべて自分以外)が見えたら、自分自身も見えてくる。
それが本当の社会との(社会性との)初めての「こんにちは」です。
自分だけが被害者だったり、たった一人孤独である、と社会を理解しているのは、
そうした社会との出会い(「こんにちは」)に至っていないから、です。
他者が存在していることに気づかなければ支えられていることも理解できません。
他者がいなければ、自分の存在にも気が付きません。
それはどういうことかというとあなたの認知の地図の中では、
世界はまったく一つの液体状のようで自分も他人も溶け合ってしまって境目がない、
どこまでが他人で、どこまでが自分で、境界線(バウンダリー)がないのです。
これがアダルトチルドレンや虐待サバイバーの認知地図の典型的な状態です。
また言わなくても察してよ、分かってよ、という日本人の文化がそれを助長させている気もします。
ただし昔の日本人は察する力を鍛えていたので(茶道や道、という身体性を通して言語に頼らない伝承がそれを鍛えることになっていた)可能だった部分もありますが、今はその能力を失って風習だけが残ってしまっているのでより困った状態になってしまいました。
ですので現代人としての日本人は、今の現代社会をけん引してきた欧米的な振る舞いを取り入れないといけなくなってしまったのです。どういうことか、それは察してよ、言わなくてもわかるでしょ?ではなく、
きちんと自分の思っていることを他者にわかりやすく伝えるプレゼンテーション能力を練習することです。
と言うようにアダルトチルドレンやトラウマ保持者は、そもそも自他の境界線がない、
つまりは繰り返しますが他者を認知していない、という状態なので(世界にアナタしかいないのです。
(これが理由ない孤独感を感じる一つの要因にもなるのです)
心理療法などを通じてこの認知が出来る回路を作る必要性があります(本来ならば幼児期から成長と共に、家庭や社会で養育者や友人を通して育てていく部分)
ただし年齢が成人であったとしてもこの能力は、保持者しか養育者の能力を引き出し育むことが出来ず、大抵のアダルトチルドレンの養育者にあたるであろう両親は本人自体がその能力を保持していないため、子どもにそれを伝達することが出来ません。
これが世代間連鎖というものでなにか生きづらいという状況を親から子どもへと伝達してしまうことになる仕組みです。
それでも昔はお見合いや家同士の婚姻という本人たちでは計り知れぬ巡りあわせで親になり、また家族一族で生活していたので、親本人が持っていなくても誰か変わって行うこともあったりしたものですが(もちろん逆も然り個人的なことだと最悪な状況の方もいたでしょうけど、全体からするとミックスされる要因になった、ということです)恋愛結婚になると本人同士が選ぶので、まずアダルトチルドレンの人が選ぶ相手は同じ匂いのする相手、つまりはアダルトチルドレンである場合が多いのです。もっとわかりやすく言えば、共依存の関係を築ける不健全な関係性の相方、を選んでいる、と言うことです。
何故ならそれしか方法を知らないから、です。
ですから熱烈な恋愛期を過ぎて、または数年経つと、
なぜあんなに好きだったのに、今は…。
最初は会うとほっとしたのに、なぜ?
と心は変化していくのです。もちろん恋愛期を過ぎてしまうと脳の興奮はなくなるので
アツアツの関係はどの関係であれ変化していくのですが、ちゃんとした関係性(交流があり成長がある)であるならば
信頼、尊敬、といった円熟した絆や敬愛へと変わっていく訳ですから
そうならないのはお互い自分だけの世界しかもてない、まるで目隠しをしたままの二人が同空間で
さまよって壁に向かって文句を言ったりしているような関係へと向かってしまうのです。
あなたが過去、そうしたように
家族はいて、友だちもいて、でも何かいわれのない孤独感を感じていたり
なにか居場所がないように感じる、そうしたことがあったとしたならば
それはそうした状況だったから、です。
そしてそんなあなたは ありがとう が苦手だった筈です、
笑顔であなたにとって嫉妬や羨望の的だった誰かさんはいつも人に囲まれて
明るい笑顔でありがとう、と言っていた。
それに対してあなたは言えなかったのではないでしょうか。
○○に比べて、あんたはなんて可愛くないのかしら、愛想なくて。
そんなこと、言われたりして。
言ったとしてもごにょごにょと小さな声で相手に分かってもらえないままで。
心を開くこと、
素直になること、
それはアダルトチルドレンにとってバンジージャンプよりも
怖いことなんです。
朗らかに、ありがとう、を言える人、それは相手を認知していて
心を開くことが怖くない人が出来ること。
それが伴って初めて本当の感謝です。
それを自他共に感じられたら、感謝が始まる。
どうしたらいいのか。
それはあなたがあなたと逢って、あなたを赦すことです。
それがあなたが心を開く勇気を産みます。
その勇気を元に、あなたは本当の心の目を開き、他者を認知し、
そして心の扉を開くことが出来るのです。
この世で、生まれてきてよかったな、そう思えるために必要なこと
それは学歴でも、自慢出来るエリート会社に勤めることでも、他者からの称賛でも、大金でも、特別な能力でもなく
本当のありがとう、が言えることです。
さあ、酷暑で疲れましたね。
ちょっと目を瞑って下の音楽を聴いてください。先ず息をゆっくり吐きながら。
少しゆっくりしましょう。