心理セラピスト:あらたのスタンス

「生きづらさの原因を分析すること」それはセラピストの勉強であって、”癒える為”にはなりません

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わたしは心理セラピーでも自己回帰セッションでも、
その人の生きづらさの要因解説は意識して必要最低限の範囲にしています。

何故なら、生きづらさを抱えている人は
誰もが内部に持っている内なる批評家の声で充分苦しんでいるからです。

悩める人の内なる批評家は、
批判や非難で自分を常に過剰に責めすぎです。

反対に傍若無人な傾向にある人の批評家は若干お留守になっていて、
それが為に我が儘勝手な言動が多くなる可能性があります。
つまり重要なのはバランスです。

それはさておき、ですから傷を負い、
攻撃が内に向かう傾向のある人※は
内なる批評家の声に翻弄されてきたから。
頭の中の言葉は、
わたしはダメだ、いけない、怠け者…
だから
「もっともっともっと頑張らなくては!」
(※外に攻撃が向かう傾向の方はまたちょっと違います)

もういいでしょう。
もう充分じゃないですか。
今度はずっとその声に隠されてきた
もう一つの声に集中して欲しい、
そう思うのです。

わたしにはこんな面もあった
とか
わたしにも、明るい部分があった
とか
わたしは、これがしたかったんだ

そう言った今まで心の奥にしまいこんでしまっていた閉じ込めていた想いに集中して欲しい。

だから原因であったであろう
お母さんから、お父さんから、
兄から姉から妹弟から、おばおじから。
先生から、上司から、妻から夫から。
ああ言われたから、
こんなことされたから。

〇〇があったから、こうだった。

そんな原因をまた再び喚起させることはセッションの中だけでいい。
わたしと共にある時だけでいい。独り孤独な時間、再びそんな悲しい記憶に埋もれなくていい。

勿論セラピーの学術的なワークショップや本やカウンセリング事例として、
わたし達の様な臨床現場の人間が勉強する資料として分析を開示して頂くことはとてもありがたく、とても重要な学びと氣づきとインスピレーションに繋がります。

しかし分析にこだわることはクライアントさん自身にはあまりよくない、とわたしは
考えています。実際、原因分析したがる方の方がセラピーが長引きます。
分析したがる氣持ちはわかります、
が、それはどうしてもこだわりとなり
それを頭の中で復習することになり、
結果想いも過去に行きがち向きがちになる。だから そんな時わたしはその方に言います。

「そう考えること、分析することはカウンセラーの様な仕事をしたいなら必要かもしれません、しかし今はご自身を取り戻す時間です。先ずはそちらに集中しましょう」と。拒絶も執着も表裏一体、結局は過去に囚われていることになるのだから。

やはり心も身体も未来に行き過ぎず、
過去にとどまり過ぎず
今に居ることが、生きやすさに繋がる のでその為の今後の習慣付けとしても、必要以上に心も目も想いも過去に向けて欲しくないのです。

”自己回帰セッション”を受けるか迷っている あなたへ
映画『日日是好日』を観ました。一人の女性が人生を生きていく姿にお茶が寄り添っている映画です。主人公は女性ですが、ここには性別はないと思います。色々とてもとても想いが溢れて何度か書き直しては、消して、書き直し。うまく文章にはまとめられなかっ...
セッション後、クライアントさんは、
クライアントさんの今 を生きていくのであって過去に生きる訳ではないから。
わたしの考えですが、セラピストとしては常にそうした”セッション後のクライアントさん”、を想定していることが重要ではないでしょうか。

 

だから、わたしがセッションで客観的に詳しい解説をしてしまえば どうしたってやはりそこに目を向けたくなるものでしょう?(それさえなかったら、苦労しなかったのに、って思いますもの、そりゃそうですよ)だからあえてセッションの中でワークが終わった時に
「あなたは過去にこうこうこうだったからこんなことになっていたんですね」
とはあえて解説しない訳です。

過去を忘れて欲しい、とは思わない。
だってそれは大切なあなたの経験の一つだから。
けれどそれ(=原因)に飲み込まれて生きてきて苦しかったんだから、
セッション後は程よく距離を置いてそれと和解して生きていって欲しいと思う。

だからね、セッションで、
あなたが自分と対峙したならば、
後は前を向いて今に集中して生きていく、
それが一番ですよ。

 

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