あらたのセッションに関して生きる、そして命について心理セラピスト:あらたのスタンス

わたしが心理セラピストとしてクライアントさんに託す想い

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自己回帰セッションだとクライアントさんとの関わりが深くなります。この前のセッションにおいて、まだ若いクライアントさんで これから婚活へと向かう方へ、熱く選ぶポイントを強調してしまいました。

どこに重きを置いて相手を見て選ぶべきか、その方のアピールする点、その方にとり譲れないモノは何かなど。
 
 
 
それはきっとわたしが自分の心を取り戻す前に、相手選びを間違えた結婚して失敗し苦しい想いをしたからだと思います。
夫婦2人で側に居ても異常な孤独感と焦燥感。全く心が通い合わない相手との生活の暗く冷たい暮らし。
あの想いを、同じ様な苦しみを、味わって欲しくない、と強く願うから。
 
それは虐待された人、
虐待が止められない人、
自分を見失って辛い人、
生きてるのが苦痛な人、
 
みんな、そうです。
 
 
世の中に人が溢れかえっているのに
まるで自分だけ忘れられているかのよう。
なんで生きてるのかわからない。
居ていいのか、わからない。
消えてしまいたい。
夜になってそんな想いが頭から離れなくなる。
 
 
わたしが機能不全家族で育ち、職場で上司との関係に苦しみ、共依存の結婚をし、仕事中毒と家庭内の全てに責任を負う無理を重ねた生活をした結果、最後は体調を崩しました。しかしその長い闘病生活で出来たことは天井をただ見つめる孤独な時間か実母の愚痴聞き…。わたしの話、気持ちを聴いてくれる人どころか健全な人との会話も、自ら動ける肉体的な自由も、誰ともまともな会話が出来ない環境が先ず2年近くありました。
 
最初は ただ声を出す、口を動かし言葉をスムーズに出すことが出来ませんでした。吃るような掠れた声、話しかけられても頭に浮かぶ言葉が出せない、その前に浮かばない、話すタイミングがズレる。そもそも声が出ない。歩くのも2メートルの距離を歩くことに2時間以上かかりました。その後そこから回復したかと思ったら、次は一日に50回以上吐き続けてる日々。おかげで横になって眠ることすら出来ない日々が3年年続きました。合計5年ですね。過ぎて振り返るとあんな時もあった、ですが。
でもその時は1分間が1時間に感じたものです。時間がノロノロと全く過ぎない。
苦しい時は、そんな感じだよね。
これは絶対終わりがない、只中にいる時はそう感じるよね。
 
 
しかしその時間を通してわたしはやらなければ、息をする、話す、水を飲む、そんなことすら錆び付かせられることを、その時に身をもって知りました。3ヶ月ぶりに水を口から飲む時、飲み込むにはどうしたらよいか迷ったのを思い出します。また過去営業マンとしてプレゼンの得意だった、いや昔から話すことが得意だったわたしですら話すことが出来なくなるのです。口を開いても声が出ない、頭も何を話して良いか分からなくて。
どんな得意でも、どんな苦手でも、
人は、やり続けなくては能力を失います。
 
しかしその体験を通して、わたしは改めて手を動かして枕元にある時計を取れること、起き上がれること、椅子に座ること、歩いてトイレに行けること、水を口から飲めること、息が出来ること、お風呂に入れること、全てが素晴らしいことだと心から感謝出来ました。そして子どもが乳飲み子の時、手を伸ばそうとしている、寝返りへのチャレンジ、立つことへの気持ちが出来なくて1時間以上泣き叫ぶ赤ちゃんへ苛立つことなく共感出来ました。それがどんなに辛いことを知っているから。
 
 
辛い時こそ、何かを得るチャンスでもあるのです。何に気がつく、自分を深く振り返るチャンスでもある。
辛いから時に自棄になる、逃避する、それもあるでしょう。あっていい。あって当然。
 
しかし繰り返し言います。
辛い時、また病気の時は治療しか出来ない、それは何も出来ないまま過ごす長い長い時です。治療以外、ただ寝たまま以外、何も出来ず、苦しい時間。
 
でも合間に感じてください。
何かを得る時間でもあるのだ、と。自分責めではなく、です。自分責め、とは、自分を責めること、そして病気であったりしたらその状況を否定すること。それは自己否定です。
 
病気や苦しみを、あるのだ、病人である今を受け入れること、それが自己受容です。受け入れられたなら、前まで色々出来ること、出来たこと、に感謝する気持ちへ向かえます。そうしたら、それから、更に、
今、出来ることに感謝することも出来る。
 
今、寝れなくて、食べれなくて、痛くて、朦朧として、病室に閉じ込められて、トイレにも自力で、いけない…。
けれど、生きてる。苦しくて痛くて死にたいけど、でも、生きてる。
朝、眠れなくて虚ろではあるけど、朝焼けを見た、それが美しかった。
 
いかなる時も、今ある、何かを見いだせなくては幸せにはなれません。幸せとは周りから与えられる条件ではなく、自ら見つけるものだからです。
 
 
わたしが夫との苦悩で出来た皺。
失った髄液、毒親あるあるのブラジャーや生理用品を買ってもらえないことで若い頃から垂れた胸、それに伴う嘲笑、ずっと自分の悲鳴を押し殺す為に食いしばった為ぼろぼろになった歯、身体中の硬った筋肉、それらは もう元には戻ることはありません。
でも皺は、これからわたしが笑っていれば笑い皺に変わるかもしれません。身体中の硬った筋肉は、今もずっと解してるけど一進一退です。あまりに硬いから解し終わる前にわたしの命が尽きそうです。
しかしそれは、わたしが号哭した感情で心が壊れないように身体が代わりにダメージを受けてくれたものです(病気もそう言うものです)ならばやっても無駄と見ないようにするか、ありがとう、そう付き合って共に生きていくか、わたしは後者を選択したい。だって苦しかったのはわたしもですが、守ってくれた身体だったのだから。
そして苦しい時に支えてくれた犬がしてくれたのはそう言うことだったから。
そうやって失ったものの中にでも何かしらの光や優しさを見いだせる筈です。
いや見出すこと、それが幸せになれる唯一の方法です。条件では、ない。
 
 
 
だから人は、
息が出来ること、喉が渇いたら飲める、食べることが出来る、眠ることが出来る肉体の健康、そして誰かと会話をし、自分の想いを誰かに伝え、人の氣持ちを聞き、互いの感情を互いに共感し合い、氣持ちの交流をする心の健康があること、これらがどんなに幸福なことか心から知らなきゃいけません。
 
どんなにお金があろうが、
どんなに名誉があろうが、
どんなに賞賛されようが、
どんなに美人(美男子)だろうが、
どんなに素晴らしい仕事を得ようが、
 
それが分からないなら幸せだとは言えません。
いや、生きてる、とは言えないでしょう。
 
 
また社会の中で、
あなたの通う場所があり、
あなたのやるべき役割があり、
あなたを必要としてる人がいる。
あなたがそれをすることで喜ぶ人がいる。
そしてあなたも必要としてる人がいる。
支え合って、響きあう家族、友人、隣人、仲間たちが、いる。
 
それが、居場所がある、ということだから。
 
 
だから、生きて欲しい、居場所を見出して欲しいと思うのです。
あなたが必要とされる場所で。
あなたが安心出来る場所で。
あなたを活かして、働かせて、その活動を通して自分を人を幸せにして欲しい、と。
 
クライアントさんに。
このブログを読んでる、あなたに。
 
 
 
 
わたしが心理セラピストとして
先ずセッションしたのは娘でした。
わたしと同じ道を絶対に歩んで欲しくなかったから。
 
なので彼女は心を閉ざしたままの父親からの依存を綺麗に卒業しました。将来どんな伴侶を選ぶのか、日本人か異国の人か、年収職業はどんなか、それは全くわかりません。それはどんな人でも構わない。けれども必ず心が通いあう男性を選び尊重し合う夫婦となるでしょう。
 
 
ですから もし まだ未婚で、虐待された方、自分がアダルトチルドレン や依存症だと自覚があるならば積極的にセッションを受けて欲しい、そう思って若い方にも受けてもらいやすいようメニューを改変しました。
 
あなたが虐待や心の偏りから解き放たれて自分を取り戻したなら、選ぶ男性や女性は心のバランスが取れた人だからです。その夫婦が育む子どもは最初からちゃんとした成長できる。
それが社会の虐待の連鎖をとめることだから。
 
世の中から虐待がなくなることを心から願ってやみません。
 
 
 
 
 
そして いつか子どもが巣立ったら、わたしの夢は傾聴ボランティアに参加することです。
世の中にはお年寄りや閉じこもってしまい話す相手も居なくなってる人に、社会的に生き返って欲しいから。
それがどんなに辛いか知ってるから。
 
あなたがもし苦しみや辛さの中にいるなら、見出すことです。苦しみの中、もう、いやだ、死にたい、そう思うことは当たり前です。しかしどんな苦しみや悲しみや病の時も凪の時間はあります。ふ…と訪れたその時で良いから感じてみようとしてください。
わたしに今ある、ある、はなんだろう、と。幸せになったらしてみるよ、それでは永遠に幸せにはなれないのだから。
 
 
 
 
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