愛するということは、甘やかすことでも、ご機嫌をとることでもない。
自分の至らぬを認め、自分の得意を認め、つまりは冷静に客観視していくこと。
自分のすべてを無条件に駄目だししまくるか、
自分のすべてを褒めまくる、は全く逆効果。
冷静に考えましょうや。
子どもを養育者として、見守る時に
友だち親子、叱れない親(=すべて子どもの言いなりの親ということ)、
自分の持ち物だと思ってすべてをコントロールする親、
これって虐待でしょう?
これって愛してない。
なぜか、だって見てないでしょう。
子ども本人のありのままを。
親からそうされてきたから、あなた寂しかったんだよね。
寂しい、って言えないぐらい。
苦しかったんだよね、あなたが親にとって存在してなかったんだから。
悲しかったんだよね、物欲に走ってみたり、そんな人間と一緒に居たくないのに依存してみたり。
悔しかったんだよね、わたしはここにいるのにって。
心を誤魔化してこなきゃ生きてこれないぐらいに。
悲しくて、辛くて、苦しくて悔しくて。
では辞めようよ、自分にするのは。
言いなりになるって、盲目的に従うことでしょう?
すべてをコントロールするって、自分の理想像だけを見てるってことでしょう?
どこに、その子が、いるの?
無視は一番の虐待。
自分自身も同じこと。
”わたし”とはこうした人間であるのだ、と
歪まぬ眼で全体を見つめて欠点も長所も受け入れ
時に適切に、叱り、出来たこと、努力を受容し、
そして毎時毎時”今”この瞬間の、自分の状態を受け入れ、認め、生かそうとする。
だって人は常に変化しているものだから。
それが本当の自分探しという名の自分育て。
愛するってそういうこと。
してますか、自分に。