アダルトチルドレンのあなたへ感想、その後のクライアントさん心理療法ってどういうもの?子どもを尊重する子育ての提案

自分軸の利用法とセッションの様子を わが子の例になぞらえて

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私事ではありますが、我が家の子どもが高校受験でした。
この一年大変だったのは、偏差値問題。
どんな問題だったかと言うと、わたしが偏差値で学校を決めるな、と言っても
友人同士の会話と学校の雰囲気で不安になってしまい洗脳されて帰ってくると言うことでした。
そもそも子どもは元夫にそっくりで、子どもそれぞれに個性はあるものの、父親系の系統を持っているので「あー…これなあ」なのでした。よくも悪くもわたし、あらたより自分へ問い、哲学が弱いところがあります。

というより元夫と子どもの自分軸の悪い面が出るとそうなる。
どういうことか。

それは長所と短所とはもともと一つの同エネルギーにすぎません。
愛、があなたの軸であるなら、憎しみ、もあなたの持ち味、どちらも同じもので表現する方向が違うだけです。わたしの中にがあるなら、憎しみも同等に得意分野ということ。
そして先ずはどちらも”ある”のが自分だという自覚がなければ、本当の自分への理解は十分ではありません。あなたが嫌だ、そう思っている部分こそもが、あなたの中にあることを受け入れなければ、あなたはあなたを丸ごと受容したことにはなりません。また長所は発見するものではなく、それを己で育てていくものであって、つまりはそこからが自分を自分で育む、または律するということなのだから。

わたしがセッション(自己回帰というメニューの)でお出しする自分軸はそうしたもの。
あなたが互いを生かす相生の循環に至る為の(上記の例に出すなら愛が相生、憎しみは相殺の循環)方向性の指針をお出しすることとなります。
大抵悩んでいたり生きることに殺伐感や虚しさを感じている人は、自分の軸が相殺の循環で生きています。そして本当の自分、とはわたしもヘッダーなどで”己に還ろう”と言ってはいますが、人生すべてをかけて行うことで、何か本当の自分というものが用意されていて、それを発見したら終わり、すべてがハッピーロード、何も努力しなくてオッケーなのではありません。
繰り返しますが、人生をかけて還っていく場所、それが本当の自分です。
 人生の最期、ああ、自分はよくやって生きてきた、と振り返った自分自身の生き様の眺めて充足感があったなら、それがあなたにとっての本姓の目的が成し遂げられた、自分は自分へ還る正しい道のりを歩んできたのだ、ということなのです。

話は子どものことに戻ります。
高校で一番大切なこと、それは損得ない友人関係を築くこと、そしてその友情や先生の見守りの中、自らを発見し、そして友を発見して友情と自分自身を育んでいくこと、であるとわたしは考えます。

わたし自身、大学は社会人になってから自分で通信の大学に入り8年かけて卒業しました。その間に正月2日で有給にしてもいいよん?というブラック企業勤務だったり結婚出産をした中での出来事でした。なぜ通信か、安かったからです。自分で払える範囲で自分が本当に勉強したいことがしたかった。短大には行かせてもらいましたが、そこはわたしが学びたいものではなかったから。何が言いたいか、というと勉強したいならいつでもどこでも始められる、ということです。
日本は新卒で会社に入る、ということが人生におけるアドバンテージであります、まさに王道な道ですね、そこから外れること、どんなに大変か、不利であるか、それは氷河期時代のトップバッターであるわたしの世代は痛い程知っています。

でもやっぱり言いたいのは、本当に勉強したいなら、いつでもどこでも始められる、ということ。

わたしの例で言えば8年もかけた為に最初に目標にしていた教授が退官されてしまって後半、違う卒論テーマになったり、そもそも試験日に仕事が休めず受けられない、学友を作る暇はないので孤独の中で続けられるのか、とリスクは高くなり、新卒入社のアドバンテージは受けられない、不利な点はいっぱいある。でもそれは有利に人生を進めること、が目的で、で、学ぶこと、が目的ではないから。
やっぱり学ぶこと、はいつでもどこでも始められる。

ですが学校も、学友も(学友の親御さん、そして塾)が偏差値、高校の大学進学率、そしてその子が安全に入れる偏差値、の受圧が常にあって、その雰囲気に呑まれてしまうことをわが子の何度も繰り返しました…

繰り返しますが、学ぶこと、それはいつでも出来ますが人間関係を形成するうえでより柔軟な精神と自我の目覚めの中で損得が少なく純粋に相手を選ぶ青春の時期、それは一生で一回しかありません。
だとしたら高校を選ぶ上で一番大切なこと、それはその子の個性にあった場所、そして一番友人が居そうな場所、を選ぶことです。

だから わたしは子どもの受験した高校の偏差値を知ったのは合否発表のあった後でした。元夫に報告している時に彼や子どもがなんだか騒いでいたので。

なので受験した学校は偏差値上子どもの実力より上だったり下だったりしたようです。偏差値上は。
ではどうやって志望校を決めたのか、怪しげな話にはなりますが、一言で言えばわたしが子どもが学校から呼ばれた声に気づいたからです。なんじゃそれ、と思います?でも学校や土地も意識を持っているものです。そこは、呼ぶんです。その声を聴けること、気づけること、そして応えること、これが引き寄せでしょうねえ。わたしは最近の感覚だと、共鳴という方がしっくりきますが。類が友を呼ぶ、とはそうしたことを無意識におこなわれた結果です。わたしはそれは顕在意識まで伝えられる回路があるから分かる、ということで。
だからクライアントさんも呼ばれたりしますよ、そうした会社や学校や土地に行った方がいいです。そこに行ったらすべてうまくいくということではなく、あなたが自分を相生の道を歩めるから、行くのですけども。

ということで子どもを学校が呼んでいたので、その学校に行かせたら気に入った、と言うのが志望校を決めたきっかけです。

しかしながら学力が子どものより高かったのでどうせ無理よ、という話になったのでございますよ。
「でもさ、呼ばれてるでしょ、わかるじゃん、ここに来たらすごく成長できるし、友達がいっぱいできるのが視えるのがわかるじゃん。なんでやる前から諦めるの?公立だから問題は素直だよ、今からコツコツやったら受かる可能性はあるよ。入ったら一番下の学力だろうけど、でもいいじゃないの、友達に教えてもらえば。学力が飛躍する一番の方法は人に教えることだからあなたも嬉しいし、友達も嬉しいと言う関係が築けるから。やってごらん、周りの声を気にしないで。他の人や先生の目も気にしなくていいから挑戦してご覧よ。
受かればそりゃ一番いいけど、本当に正しい目標なら、落ちたって絶対あなたの糧になるよ。合否なんか関係ない、行きたかったなあ、という気持ちを残してしまうなら精一杯チャレンジすることがあなたにとって一番いいのだから。チャレンジを諦めたら、それが一番駄目だよ」
それがわたしが子どもに伝えたことです。

でもねえ、力抜いたんです。合否関係なく。
どうせ無理だろ、という気持ちと試験の点取りゲームにしてしまったということで。
そりゃもちろん叱りましたよ。
カウンセラーの子育ては褒めて優しく言い諭す?違います、しっかり叱ります。
子どもと真摯に向き合っていくこと、が本筋でそうした関係であるならば優しく諭す、ことだけで通用するわけないじゃないですか。

”ま、いっか”、それはわが子の軸を相殺に使う時に出る言葉。塾の先生ともずーっと課題で見守ってきたものでした(塾は元教員だった方が起こされた塾で今は息子さんが継いでいてもう一人の先生も元塾の受講生がその教えに感銘を受けて塾に戻り先生になった、という勉強もですが人格を育てて見守ってくれる場所だったので選びました。今は進学系の塾は周りは敵だと思え、って教えるらしいですね。ありえない。父親不在の子どもには父親代わりになってくださいました。本当にありがとうございました)

落ちたことではなく、手を抜いたこと、点取りゲームにしてしまったこと、そこを反省しないとあなたの生き方としてどうだろうか。
ということで叱り、反省してもらうに当たりわかりやすいと思ったのと大人の階段を上がる子どもに指針となるよう軸だしのセッションをしました。
結果、自分の軸と相殺する方向へ向かう思考、行動が多かったと反省出来たと思います。一つ、大人になったと感じています。そしてそこにチャレンジしたこと、そしてその学校の結果を身をもって受け入れ昇華できたのだとも。ですからいい経験になりました。物事は結果だけではありません、辿った道が一番重要です。
 ということで我が家の子どもは先に受かった学校に行きます。そこもとても良いです。先生が明るくて素直なんです。そして友人もできそうでとても自然豊かな校舎の構造も良い。(建物の気の流れってやっぱりあるんです、溜まりやすい構造の土地や建物は事故物件になりやすい)そこでわたしの希望はいっぱい友達を作って充実した日々を送って欲しいだけです。そこで本当に勉強したことが見つかったならそれを学ぶ大学へ進学したらいいし、他に興味のあることが出来たらその仕事を目指せばいい。

でもその志望校決め、これもね、そこにするかどうか最初はそこは子ども自身は違うと言ってたんですけどね。決める時に偏差値や他の条件や友人の意見から候補から外してしまっていたから。
なので わたしが子どもの個性を見て、ここが合ってるから、とにかく現地に行ってごらん、在校生を観てきな、本当にそうか現地に行くんだよ。先入観で決めたらいけないよ。
帰ってきた時、子どもの顔は輝いていて、とても楽しそうで「違った、良かった、明るくて楽しそう」

子どもが学校を決めるときに一番重要なこと、それは学校の雰囲気です。
在校生の中に入りたいな、と思うことが出来るか、その学校にいると落ち着いて明るい気分になるか、そこが一番重要です。

どんな子どもは社会の未来です、その子ども達がのびのびと安心して呼吸が出来る場所、友情が育める場所へ行っていいよと促すのが大人の役割です。だからわたしはすべての子どもがそうした場所に行って欲しいと願ってやみません。

大学へ進学が楽な推薦枠があるのか、いける実績があるのか、自分の子どもはここに入ったのよ、と親が自慢する為ではないです。

心配なの、大学進学できるの?就職不利になったらどうするの?

その親の心配で子どもの大切な青春を潰したら駄目です。
たった一回の自我の目覚めの時の目を出し始めたばかりの双葉を踏みにじったら駄目です。
その双葉がよりよく育つ環境へ、そしてその双葉が実はどんな植物なのか、それはゆっくり花開くのを待ちましょう。日影が良い植物、反日蔭、いやいや太陽大好き、土は水はけがよいのか、湿潤した方が良いのか、それはそれぞれの個性です。その個性に合った場所に行かねば芽は育ちません。
その子の選ぶ道を邪魔しちゃいけません。

だってその芽を摘まれ、潰されてきたのがアダルトチルドレンじゃないですか。
わたしは同じ苦しみを味わってほしくはないのです、次世代の子ども達には。

 

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