本来の自分に戻るって、
なかなか勇気がいると
わたしは思っています。
簡単だって、楽々だって
おっしゃる方もいるけど、
自分はそうじゃなかったから。
というかそうじゃないから、
わたしは、言えない。
例えば、ね。
こんな若くて初の昇進!!
この会社始まって以来!!
という大企業での昇進話とか
なかなか断れないでしょ?
良いこと引き寄せちゃった!
とか思っちゃうでしょ?
でもその話は、
その人にとっての在り方に
反していたら・・・?
断るのすっごい勇気が必要でしょ?
それを選択したとしたら、
その人の軸はずれていく。
本来のその人との乖離してしまう。
誘惑を断ることが、
人生からのテストの答え
これ、結構あるんですよ。
それでもあなたは自分の軸をとるのか
そう、問われる。
先人の聖者たちのキリストも仏陀も
瞑想中、苦しみながら
よく悪魔よ、去れって
言ってますよね。
誘惑とは、甘美なものなんです。
しかし、その昇進を受けて、
奥さんに大喜びされてしまい、
世間の常識のままに、昇進を選択して、
子どもの高い塾に入れることも出来て、
念願の有名校に入れて、
そのまま異例の出世を続けて、
もしかしたらかなりの重役になって
お金も地位も手に入れて、
そんな人生を送るかもしれない。
周りの人からあの人は
なんと幸せだったか、
と思われながら。
でも本人は、息を引き取る時に、
心の中に虚しさを
感じながらかもしれない…。
オレはオレを生きたのか、と。
やりたいこと、やれたのか、と。
他人の賞賛、称賛を手に入れたけれど
自分自身のそれは歓びだったのか、と。
本当の自分に還る為には、
勇気と覚悟が必要です。
もしかしたら今、
あなたが描いてる夢を
否定することが起きるかもしれないから。
もしかしたら今、
あなたが過ごしている人たちとは
別れることになるかもしれないから。
だって今までの それは、
あなた自身の在り方よりも
もしかしたら、親や、世間の常識から
刷り込まれた偽りのモノを
基準に集めてきたものかもしれないから。
あなたならどうしますか?
今じゃなくてもいい、
明日かもしれない。
三年後かもしれない。
究極、今世でなくてもいい。
あなたのタイミングだから。
選択権は常に、あなたにあるから。
そして自分が主人公の人生を歩むとは
他者との競争を棄てることだから。
あなたが決断すること。
ただ、今のままだと
理由なんかわからないけど
とにかくいけない、苦しい、
違和感が拭いされない、
そう、心の底から願うなら、
還る選択をする
タイミングだと思います。
何度も言いますが自分に還る、
を選択したら覚悟はしてください。
勇気と忍耐力をもって
挑んだ方が良いと思います。
そうじゃないと、続けていけなくて
結局元に戻ってしまうから。
もし、始めようと言う方がいたら
仏陀のこの教えを読んでみてください。
わたしはこの文章を高校生の時に
読んで勇気をもらいました。
(※特定の宗教とは関係ありません)
林の中で、縛られていない鹿が
食物を求めて欲するところに
赴(おもむ)くように、
聡明な人は 独立自由をめざして、
犀の角のように ただ独り歩め。
仲間の中におれば、休むにも、
立つにも、行くにも、旅するにも、
つねに、ひとに呼びかけられる。
他人に従属しない 独立自由をめざして、
犀の角のように ただ独り歩め。
相争(あいあらそ)う哲学的見解を超え、
(さとりに至る)決定に達し、
道を得ている人は、
「われは智慧が生じた。
もはや他の人に指導される要がない」
と知って、
犀の角のように ただ独り歩め。
貪(むさぼ)ることなく、
詐(いつわ)ることなく、
渇(かつ)望することなく、
(見せかけで)覆(おお)うことなく、
濁(にご)りと迷妄(めいもう)とを
除(のぞ)き去り、
全世界において妄執のないものとなって、
犀の角のように ただ独り歩め。
水の中の魚が網(あみ)を破るように、
また火がすでに焼いたところに
戻ってこないように、
諸々の(煩悩(ぼんのう)の)
結び目を破り去って、
犀の角のようにただ独り歩め。
(「犀の角」、「第一 蛇の章」、
『ブッダのことば スッタニパータ』)一部抜粋
