目の前の人や関わっている人を大丈夫なの?どうなってるの?
そう見ている人は対人関係にある対象者を”探っている”状態です。
ではこれってどういう状態なのでしょうか。
先ずは”探る”っていうことから。
漢字の成り立ちとして左の手は手、そして右編は子宮の内部の象形文字です。手で置く深くの子宮からまさぐり出す、ということをさしています。
「捜」・・・「見えなくなったものをさがす」(例:犯人を捜す、失くした時計を捜す)
「探」・・・「欲しいものについてさがす」(例:職を探す)
※以上「漢字の成り立ち」さんより
深い場所から、意図的に引きずり出す、そして”さがす”の漢字の使い分けを見てください。
見えなくなった”もの”を捜す、は捜査の字。文字通り事件の捜査や何かで真相を探るもの。しかし探すは違います。意図が入っているのがわかります。”欲しいもの”を捜す、それは探し手が欲しいもの言う主体者の意図が入る。事件などの捜査は客観的事実を捜すのに対し、探す、は主観的なものとなっている点が違います。
そう、人を探る、とはあの人はきっとこうに違いない、私の経験上こういう人はこう、などと言った今までのその人の経験値によるもの、思い込み、つまりはその人自身の世界観が反映された主観から見たその人、となるのです。これはその人のあるがまま、というにはほど遠い。
またこの探るに使う世界観※はすべてに適応されてしまいますから、友人だけにそれをする、通りすがりの人、職場の人、にだけしているわけではありませんし、使い分けも難しいです。基本ベーシック世界観は同じで、オプションで女の人は、とか、職場の人、上司は、とか追加されている思い込み箇条はあると思いますけど。
例)ベーシック世界観+追加思い込み・「わたしの知ってる」男の人ってこう
=年上の男性に適応される思い込み
※色の部分がオプション部分
という風に様々なバージョンでその人なりに作り上げた世界観の見方が深層意識に一杯ある状態です。
その色眼鏡で通した世界は”あるがまま”=客観的な世界、とは言えないでしょう?
黄色いサングラスで世界を見たら、世界は黄色に、ピンクならピンクに染まってしまっているのだから。そういった色眼鏡が多ければ多いほど、事実からは遠くなってしまう。
あるがままを見たければ度も色も無色透明なまっさらな状態にしなくてはいけないのです。
ではどうしてそういう色眼鏡=思い込み=その人の世界観が生まれるのか。
そうした色眼鏡の状態で予防線を張ること、が傷つかない状況で生き抜いてきた、ということが一つ。
そしてもう一つには脳は大食いな臓器です。
身体の30%カロリーを消費してしまう。今は一部の先進国では飽食的な状況ですが、世界的に飢えで亡くなる人が半数を超えています。単に他の地区の富を一部が吸い上げているだけです。ウクライナとロシアの戦争で分かるように、昔から地球の裏側のちょうちょの羽ばたきが影響を受ける、としてきたのが、もっとダイレクトに直結して影響を与えるように工場を海外へ国内の工場の空洞化していったあの時代から、我々は搾取する側として君臨しているようで、実は自立を手放してきた、ともいえるのです。
話がずれてきましたが、つまりは飽食、という状態、は異常事態だ、ということです。
だからたった一つの臓器でカロリーを全体の30%も使う脳はなんというのかな、大飯ぐらいだから肩身が狭い。だから省エネを一番に心がける。エネルギーがない、=生命の死、ですから。死ぬよりいいだろう、ってことで一回出来た回路を使い、一から一つ一つ改めて創り出すより、昔に従う、同じやり方をする、ということを選択しがちにはそうしたことも理由にあるのです。
ではどうしようもないのか。
いいえ、脳の可塑性※がある。
可塑性とは、脳が脳の神経細胞群が新たなネットワークを築き、伝達方法が生まれ変わることです。つまりは世界観が変わる、ということです。脳の発達過程に虐待などがあると脳の一部が肥大化したり萎縮したりしてしまうのでより慎重な経路形成が必要となります。そして心理療法とは正しい回路を作り出すこと、が最終目的です。
またこの脳の歪みにより暴走しがちな感情などを抑えたり、または代わりに伝達物質となるのが精神科で処方される抗うつ剤の役割です。その人に合う薬が処方されたなら、飲んだだけ、という受け身の状態でも状況が楽に感じられることもあるでしょう。ただ薬には耐性がある為、増えていく、そして根本の脳の萎縮や肥大は変わらないのでやめられない、というリスクを負うことになります。
根本的な肥大化や萎縮部分に回路を作り出すこと、これをするのが心理療法なのでセッション後眠くなったり、継続的に課題に取り組んでもらう、ある一定の時間=成長する為の時間(わたしが自己回帰や心理セラピーの基本回数としてセットにしている理由はこれにあります)というクライアントさん自身の主体的な意識と自分への働きかけが必要となります。
どちらの道を選ぶか、それは御本人次第です。
さて、探る、ということに戻ります。
探る、とはそうした色眼鏡で、自分にとり都合の良い(都合がよい、とは自分にとって楽天的な、ということではありません。自分の世界観に合った内容、です。自分が嫌われる、という世界観を持った人は”嫌われている”という答えになる要素だけ、手で引き釣り出す、ということです)見てしまう状態です。つまり探る、は、その人のあるがままを見ようともしないで、あなたが成ってほしい”その人の象、を押し付けること”に他なりません。それはその人そのものを見ようとしていません。
ではどうしたらよいのか。
その人を知ろう、とすることです。
知ろうとする、とは、その人のあるがままを無色透明に見ようと試みることです。もちろん人間多少の思い込み、経験値をまったく0にするのは難しい。けれど、そうしようとするという意識の方向性と、探っていこう、というものは根本が違います。
そう全く違う根幹とは、知ろうとする場合人の心はより多くその人を見ようとしていますから、暖かい好奇心と共に心が開いた状態です。しかし探る、とは恐怖か不信感から心を閉ざしていて、わたしに危害を加えないかどうか、という怯えた状態から発露する行動だから、です。
知ろうとしたら、この人こんな表情だ、あ、笑った、いや、目がそっぽを、とその瞬間、瞬間のその人を見てる。しかし探る、をしていたら、この人の学歴はこう、何してる人、男だ、背が高い、と背景やその人の過去を見ているのです。
今のその人、を見ていること、そして今のその人を見ているわたしを見ている状態、これが今を生きる状態です。そして交流が出来ている状態です。セッションでは毎回ここを何度も何度も行います。あなたは実はそこでも練習しているのです。それを是非あなたの今いる場所でも実行してください。
セッション内で出来ていればいい、ではなく、それをあなたが実行すること、それがあなたを救い、セッション内で生まれた回路を更に太くしていくことなのです。
(※重要※この世界観をその人の個性、性格、ととらえているのが今の常識に入っている気がします。「わたしってこんな人間だから~」的なのにはじまり、「どうせわたしはこうだから…」「いつもわたしはこんは役割」で表現されるもの、これは個性や性格ではなく、あなたが育成時代から作り上げてきた防衛法であり世界観です。そして世界観は後天的なものであり、変更が可能です。またこれに変化を加える働きかけをすること、そして柔軟にする、緩める、した結果、自分らしい表現=個性、が出てくるのでそこを引き出していく、ということが心理療法です。なので心屋さんが性格リフォームカウンセラーと名乗っていたのだと思います。一般的にその部分が性格だ、と思われているので分かりやすいですよね。ここら辺の戦略など本当に心屋さんは上手だったと思います)