本当の勉強って こういうものだ

たまたま本屋でこの本をみつけました。
教科書かー、
ならわたしにもわかるかなー
と読んでいたら、
著者は12歳の男の子でした。

あら、びっくり。

どこでも天才はいるもんですね。
かなり嬉しくなりました。

どんなことでも
その人が、その人の好きなことを
夢中になってしたこと、
を、見ると嬉しくなります。

 

この本もそうなんだろうな、と。
12歳の少年が書いた 量子力学の教科書

 

今は、15歳になった高校生ですが
どこで勉強したかというと
図書館だそうです。 

とにかく本が好きで、ジャンル問わず
読みまくった中で、
量子力学に感銘を受けて書き上げたとか。

 

それで思い出したのが
コリンウィルソン。

 

心理学・哲学、オカルト研究科の彼ですが
まだまだ階級社会のイギリスにおいて
労働者階級出身の彼。
しかも16歳で学校を辞め、
(イギリスは大学に行くには高校でAレベルというものを取得しないと受験出来ず)
夜は野宿((+_+))、
昼は大英博物館に缶詰めの
生活をしながら、本を読みまくり
『アウトサイダー』に始まる
実存主義思想のシリーズで
鮮烈なデビューを果たしました。
そして作家になった方です。
大学は当然、出ておりません。

勉強って、
その人の興味とやる氣があれば
いつでもどこでも出来るんだな、
と思います。

科学者などは研究資金やら
施設がネックになるけど

でも、やる氣になれば…!

 

江戸時代の華岡青洲だって、
母と妻を実験台に
世界初の麻酔手術を行ってるし。

これもどうしても知りたくて知りたくて
結果自分の身体で無謀な実験をしてしまう
科学者たちの奮闘が書かれた本です。
 
これ、自分の探求したことが
どうしても、知りたかったんだよなー
そうだよなー試したかったんだよね
自分の仮説を。
 
周りから無謀だ、馬鹿だ
危険だとたとえ言われたとしても。
ま、正直、バカだよ…
でもわたしは、そんな人々が大好きだ。
 
 
だからと言って
わたしは義務教育に
反対者ではないのです。
 
例えば、アメリカでは
まんべんなく科目をやるのではなく
音楽だけ、美術だけ、とか選択制の為
本当に嫌いな人間は
リコーダーを吹くことなく
一生終わったりします。
 
わたしは音痴なので、
リコーダーは大嫌いでしたが
強制的にやらされなかったら
あのなんだか袋から開けると
漂う独特な香りを嗅ぎながら
ぷふーぷひー♪小指浮いて音外れる!
青臭い思い出は持てなかった訳で。
 
 
また韓国ではプールの授業がないため
本当に泳げない人は全く泳げないとか。
痛ましいセオール号の事件では、
それも多数の犠牲者が出た一因ではないか、とも言われたりしているそうです。
これは本当悲しい結果になってしまいました…
 
 
若き日、わたしもアメリカでキャンプをした際、名も知れぬ湖で泳いでいたら
岸で藻が絡まりそのまま溺死するところを
泳ぎ通して生還できたのは
学校教育のプールのお陰でした。
ありがとう、学校。
 
 
ただ、反対なのは過激な受験戦争です。
しかも低年齢化した。
 
18歳の青年が合格目的の為に
半年間か一年、机に噛り付くのは
まだ良しとして、
 
8歳から13歳の
子どもから大人の身体に変わる
年齢の子どもが運動不足になるのは
長い目で見たら、
大変危険ではないでしょうか。
 
話はずれますが、
今、女の子の靴でヒールの様なもの
先の細い靴、など見た目重視の靴も多い。
骨盤が変化する柔らかく不安定な時期に
本当に恐ろしいと思います。
子どもは大人のミニチュアではなく
全く違う身体状態です。
 
ある程度は太陽の光を浴び、
身体を柔軟に動かし
ぐねぐねと駄々をこねるような動きで
ふらふらしながら、
自由に動き回ること
跳ね回ることが必要な生き物です。
 
中学受験に小学校1年生から
過剰な勉強をさせられたある男の子は
6年生の図工の時間のコラージュで
好きな物を貼っていいよと言われて
アンパンマンを貼ったそうです。
勉強一筋でアンパンマンから卒業しないまま6年生になってしまった…
これは心の殺人です。
(※あんぱんまんは悪くないですよ!!)
 
同じように、幼稚園時代からサッカーを
していてサッカーしか出来ない身体になってる男の子も多いと聞きます。
 
追いかけっこ、
野山を自由に歩く、
木に登り
川で泳ぐ、
これをしていたら、サッカーでも
野球でもラグビーでもテニスでも
応用が利くのに。
 
自らの思考を奪い
その学校や教師、いや、
文部省のやり方の型に押し付け
またはそのターゲットの
学校が望むテストをクリアすること、
点数を取ること、の訓練が
勉強でしょうか。

 

基本的なものを網羅して
一定の年齢を過ぎ、ある程度
その子どもなりの得意不得意が
把握できた、

そのあとは
興味を持てる分野へといざない、

その子が夢中になれることへ
自由な発想を羽ばたかせられるよう
そんな場を提供し、情報や必要な人と
繋げてあげること

それが、教育、いや
共育(きょういく)なんだと。

そして本来の勉強とは
その共育が終わってから、
自分で自ら前進していくもの、
と、定義されるのではないでしょうか。

 
本当の勉強って こういうものだ
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