強がってしまうのは何故か、そして自己受容と自己肯定感の関係について

それでもつい強がってしまうのは自分に自信がないから、です。

大丈夫、大丈夫、
わたしは大人なんだから
迷惑かけたらいけない
あの人の時間を使わせたらダメ
あの人、忙しいから遠慮しなきゃ
我慢しなきゃ

そんな言葉を独りで頭でぐるぐるさせて
勝手に結論づけてしまう。

聞いてみましたか?
その人に、あの人に。

でも聞くのはなんだか負けたような
なんか…

ここで使うのが、勇気です。

よろしいですか。

聞かなければ誰のこともわかりません。
逆に言えば、あなたの気持ちも相手に伝わりやすい言葉にして、きちんと伝えなければ、誰もあなたのことをわからないのです。なのに言わないでおいて、誤解された、わかってくれない、としたらそれはどうでしょうか。

またそうした人は人間関係に悩む人に多いです。そしてアダルトチルドレン はコミニケーションの方法を知らないで失敗している。

よいですか。

コミニケーションの方法を変えること、
アイテムを増やすこと、は
あなたが否定されることでも、
あなたの本質を変えることではありません。
服を変えたら、あなたは違う人になるのでしょうか。確かに服はある種の記号となりますから印象は変わるでしょう。

しかし本質であるあなたがなくなる訳ではないのです。
勿論、人によりいくら伝えてもわかってくれない人、通じない人、もいます。

が、あなたは努力しなきゃいけない。
それはその人とは距離を置き、通じる人を探す努力かもしれないし、相手にわかるように話すことかもしれない(これが言葉足らずな人が多い傾向はあります。想いばかりが先走り説明が足りず、構文が成り立たない)練習しかありません。

そして実際に怖くて仕方ないけれど、
人に当たって砕けるしかないのです。

癒された後は。
やってみる、そしたら結果はどうあれやった自分を認められ始める筈です。
これが自己受容。
それを誰しもが繰り返すのが日常です。
繰り返すから、善く歳をとると好いおばあちゃんおじいちゃんになれるのです。

そして自己受容を繰り返すと、
だんだん自分の人生の意義、意味があるな、と感じられる筈です。
こんな自分ってまあ、いいじゃないか。
これが自己肯定感です。

自己受容✖️♾=自己肯定≒自信

これを小さなことから大きなことを繰り返し自分を育てて成長するのが人生です。

やらなきゃ始まりませんよ。
やってください。
そう、やりましょうよ。
やってこなかったなら、
今からやればいいですよ。
やっていこうよ。

わたしがセミナーやお茶会や
あまりこちらにコツ?やらを書かない、
いや書けないのは、読んだ方が自己判断を下す場合、大抵違う方をとるからです。

努力すべき人は、あ、楽にしたらよいんだ、となり、肩から力を抜く方がよい人はより鼓舞叱咤激励をして頑張り続けてしまうから、です。

セッションなら、
あなたの課題はこれですよ、と
言えるから。
クライアントさんが逃げようとしてもね。
この場合はクライアントさんも辛いけど、わたしも憎まれ役で辛いもんです、が、踏ん張りどころです。

 

ところでエセカウンセラーになぜ書いてないですよね。と言うかアップしてないのは、一つの理由はもう書いたのですが、
結論をここに書いてしまいましょう。

エセカウンセラーとクライエントは共依存関係だ、と言うことです。
褒め合い地獄の、ね。

褒めあった高揚する関係だから、親のそれ、夫(妻)とのあれ、と違う感じがしますが同じことなんですよ。

カウンセラーやセラピストの役割は認めること、です。褒めたらいけない。
子どもにテストの点が良ければ金品を与えるやり方と同じものが、褒め合い。
あなたは特別、あなたはラッキー、と持ち上げて優越感や特別感をもたらす(わたしはポンコツってやつも同じですよ)
エセカウンセラーのご褒美は金品ではなく、甘い本質とは乖離したべたべたした褒め言葉やすべき課題から逃げてもよいよ(アップしてない記事はこちらについて書いてますね)、そしてあなたにはミラクルが起きるよ、ですかね。あちらの思考は好きではないので良い例が浮かびません。

わかりにくいかもですが、ごめんね。

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