一人で人間関係に悩みがちな人は、
人一倍そのことに自分の一日の時間、労力、を頭の中で使っています。
あの人にあんなこと言われた…
あの態度の意味はなんだったの?
これで良かったのかなあ
嫌われてないかしら
氣を悪くした?
あの言い方で良かったのかな…
何であの時、ああ出来なかったんだろう
言い返せなかった…
あの人が断ってきたのはなんで?
やっぱり嫌われてる…
一人で悶々と。
そうしたぐるぐると妄想した結果、
ある程度、答えは出るかもしれません。
ある程度、答えは出ないかもしれません。
しかし、出たものはあくまで
あなたの予測であり事実ではありません。
だって あなた一人の頭の中の結論だから。
仮にもし事実ならば、
その答えが氣にいらない結果であったとしても
〇〇である
という明確な現象であり、
迷いはありません。
それでしか、ないのです。
だからそこには、
あの人の氣持ちが分からない…
という想像や妄想の中の不確かな結論からくる不安はありません。
ただ事実だけがあるのみ、です。
しかし実は事実以上に
人間関係の悩みの素は不安だ、
と言うことが問題なのです。
つまり、
あの人は わたしを嫌いなのかしら?
好きなのかしら?
どちらなの???
という自分の頭の中の想像は、あなたが勝手に作り出したものだから、確証は得られず、あーだこーだする内に更に不安を呼び、一人で堂々巡りをして時間をつぎ込んだ上に、その妄想が更に不安を呼び、新しい妄想が生まれます。
それは事実が不明確だから。
はっきり事実が判明したなら、
不満や意見はあれど不安はありません。
あなたの人生の時間も、体力も、妄想に使うのはもったいない。
なぜなら時間は買えません。
家族も、友人も、人生も…。
つまり本当に大切なもの、
時間と愛はお金では買えません。
大切なものは買えないし、他人から借りることも出来ません。自ら勇氣を持って産み出すしか手にすることは出来ません。
それと同時に、
相手の氣持ちを独り頭の中でぐるぐる考えてばかりの人は
自分の氣持ちも伝えようとしません。
なぜなら言わなくても分かってくれている、と思っているから。それは自分がずーっと相手の氣持ちを妄想しているから当然、他の人も自分の氣持ちを勝手に妄想してくれていると思っており、伝える努力をしようとしません。
自ら行動しようとはしません。
どういうことか客観的に見ていきましょう。
全てが自らの殻に閉じこもっている、ということ。
一人で完結していること。
ですから、そんな言いもしない人の氣持ちは誰もわからないし、また あなた自身も閉じこもっているのだから
正確に相手の氣持ちはわからないのです。
だから 理解されないし、誤解されるし、距離を感じる。
理解されてる、好かれてる、朗らかだなあ、明るいなあ、と憧れるあの人は、
自分で自分の氣持ちを正確に分かりやすく伝える努力をしているのです。
また相手をわかろうとしている。
つまり持って生まれた性格や容姿や育ちよりも何よりも
単純に、自分の氣持ちや言葉を人に伝える行為をしていない。
聞く行為をしていない、という行動パターンが問題なのです。
人が人として生きるには、他者との交流の中に身を置かねばなりません。
交流の字を見てください。
交換した、流れ、の中に身を置くこと、
それが交流、です。
交換するのは、
あなたの氣持ちと、相手の氣持ちです。
だから あなたの氣持ち、人の心は、言葉や動作、表情仕草に乗せて、しっかり相手に伝えていかねば交流は生まれません。
あなたの氣持ちを相手にしっかりわかりやすく手渡ししましょう。
そして、相手の氣持ちも丁寧に受け取りましょうよ。あなたが氣持ちをわかって欲しいように、相手も理解して欲しいのだから。
そしてそれを積み重ねていきましょう。
そうね。
どんなに真心を込めても受けとってもらえないこと、それは怖いと思います。
相手が大切であればあるほどそうでしょう。
しかしなぜ一番の恐怖であり、勇氣の出しどころなのか、それは受け取ってもらえることが人としての歓びだから、です。
そして返してもらうこと、
それが、
あなたが その人の中で生きてる、
という愛情であり、実存の証だから怖いのです。それを拒否されたら孤独になるから。
そもそも人が、
いや、生命が生きていること、
命があること、それで奇跡なのに、
それでも死んでしまった方がラク、
消えたい、そう感じてしまうのはその交流の流れから外れ、
孤立し孤独だから、なのだから。
しかし人生を取り戻したい、
自分の人生を豊かにしたい、
ならば その愛情の流れの中に自ら勇氣をもち身を置きに行かねばなりません。
昔、親子関係や何かの酷いトラウマで
閉じ込もらざる得なかった、
または、
自分を安売りして自分全てを犠牲にせざる得なかった、
また言っても言っても無視された、
聞いてもらうべく言葉を返答してくれなかった、
だから氣持ちを言うことは恐ろしい、
無理だ、無駄だ。
そう、あきらめたり、
恨んだりしているかもしれない。
その場合は先ずはその傷は治療により癒す必要はあるでしょう。
傷ついたまま行動しても事実を歪んで認知してしまうから、結局言っても誤解されたり、また歪曲した理解をしたりして、
正確な事実に基づく言葉のキャッチボールが出来ず、一生懸命努力した結果、更に人間関係で傷つくことになるからです。
優劣の話ではなく、癒す時なら癒しを先です。
が、治癒したならば伝えていきましょう。
あなたの言葉を。
あなたの氣持ちを。
伝えて初めて、それ、は命を持ちますよ。
そして受け取る。
相手の言葉を。
相手の氣持ちを。
そうしたら、相手の言葉も命を得る。
流れは一回のターンでは生まれません。
昔、学校のプールのレクレーションで、
みんなでワイワイまわって流れるプールを作りませんでしたか?
流れがない水を皆んなで力を出して歩いて歩いて、だんだん流れが生まれてくる。
あの様に、伝え、返し、繰り返すことで交流という流れが生まれ、たゆまぬ努力の先に循環へとなっていく。
そうしたら周りも巻き込まれていくことでしょう。
だから伝える努力を怠ってはいけません。
相手に伝える勇氣こそ、お金より大切なものです。なぜならお金で買えない最大の歓びを得る為の通貨のようなものだから、です。そして、言葉を伝え受け取ることで誕生するのは、言葉や氣持ちだけではありません。
あなた、そのものがこの世に誕生するのです、社会的な認知の意味で。
だから孤独から脱出出来るのです。
自らを社会の中に生み出していきましょう。
わたしは ここに居る、と。
