本当の自分に還る為の指針

より高次の自分になる為の意識3段活用 その2

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その1はこちら

より高次の自分になる為の意識3段活用 ”私事(しごと)→仕事(しごと)→志事(しごと)”
これは仕事だけではなく、究極、生きていく姿勢、哲学と言っていいと思うのです。心理学者のアブラハム・マズローの創始した人間性心理学というものがあります。これは科学的な行動主義心理学と分析して還元主義の精神分析に対して重要な矯正策となりまし...



”自己実現をした人は至高体験をするらしい”、とマズローは言っています。
それは至上の幸福と達成を感じる瞬間であり、個人を超越したもの、と指摘しています。(※神秘体験ではありません)

注意したいのは、達成+感じる という文字です。つまり あなた自身が努力し切った時に、己自身に感じる充実度。
つまりこれは、自らの本氣で努力し続けたいモノに対し”ああだ、こうだと失敗乗り越えながら創意工夫試し、魂を磨き続ける道のりそのものへの満足感、そう、己を生きる人生そのもの、です。

【重要】生きる、生ききる、活かしきる、とは
自分本来に戻る、還る、とはE・フロムの言う ="ある"状態なのだ、と先日 書きましたが、もう少し、深く ある 状態を解説しましょう。 "ある"、状態とは何かが、ある のではなく、わたしが    ある   です。なにものにも執着せ...

しかし本当の達成とは 結果、評価は関係ない。なぜなら結果や評価は外部(他者がくだすものだから)の問題だから、です。

周りの期待、自らの期待 の違い
高橋大輔さん復帰会見、良い笑顔でした。 世界トップを目指す戦いじゃなくて、周りから期待される演技じゃなくて、自分に期待する演技をしたい。高橋大輔って、こんなんだっけ?こんなレベル?そう例え言われても、やってみたい。復帰会見の高橋大輔さん...



自らの真の好奇心に従って行う行為や努力に結果は重要でしょうか。
自分を褒めてやりたい、そう言い切れた時に他者からの賞賛は必要でしょうか。
自分で自分を満たせたなら、それで良くないですか。
またそれが出来た時、他者からの期待から卒業出来る訳ですから、これが真の自由であり自立であり、自我の目覚めです。

【重要】責任を持つ、ということ
昨年、NHKのプロフェッショナルという番組で、「舞妓を支える職人たち」という番組を、観ました。職人さんは、芸術家ではないので作品に対し、自分の名が表に出ることはありません。そして、本来の職人さんが作る物は基本、日常を支えるもの。名が出ること...



しかしマニュアル時代に生きる わたし達はこれが有利、これさえすれば健康、あれさえ押さえたらお金が簡単に稼げるなど条件クリアに縛られがちです。
故に結果や評価=達成、と勘違いしがちです。資格や学校、企業など他からわかりやすい勲章を求めてしまう。

そうこうしている内に他人軸になりやすいでしょう。
または欲望の時代に生きる 
わたしたちは常に餓えています。
渇望の人はこんな思考じゃないでしょうか。

 

もし、わたしが美人だったら
もし、わたしにお金があったら
もし、こんな場所にいなかったら
もし、頭が良かったら

そして

または、
今はないけど、努力したら
今はこれだけど、次は

今はこんなんだけど、
前はこうだった、
これはこうだった

これでは やはりまた未来に過去に、
そして自分にない物、つまり他人に心のベクトルが行ってしまっていて
「心ここにあらず」、己が内にあらず、です。

肉体は物質ですから、今に固定されている。けれど意識や心は飛ばせる訳です。
過去か未来に、そして他人へ 心も魂も向かってしまっていては肉体は空っぽ。
”人は、身体と心と魂、の三位一体が同じ時空に存在し、繋がり循環し、
すべてを活用出来た時、
初めてその人の真価が発揮出来る” 

わたしは自己回帰セッションで、その人の心と身体の調整を行い、その後ご自身で自らを整えるやり方を、そして人生の先を探求する方法をお教えしたりしています。

 

では絵師、葛飾北斎を例にとります。
「せめてもう10年、いや、あと5年でもいい、生きることができたら、わたしは本当の絵を描くことができるのだが」

 

向上心と好奇心に富む北斎は、浮世絵に飽き足らず、師に内緒で狩野派の画法や司馬江漢の洋画も学んだ。やがてこれが発覚し春章から「他派の絵を真似るうつけ者!」と破門される。生活に窮した北斎は、灯籠やうちわの絵を描いたり、時にはトウガラシや暦(こよみ)を背負って行商するなど、「餓死しても絵の仕事はやり通してみせる」と腹をくくり、朝の暗いうちから夜更けまで筆を走らせたという。

葛飾北斎の生涯より引用

北斎、87歳にして畳21畳分の絵。 
江戸から長野まで絵を描かせてもらえるとその年で長野に向かう。

88歳、江戸で没する直前の絵。虎の柔らかさに円熟が感じられる

2016年に発見。
北斎の肉筆画「鶏竹図(けいちくず)」

因みに北斎を支え続けた隠れた天才、
北斎の三女、葛飾応為『吉原格子先之図』 

北斎は、”今”、”今”なんです。

「私は6歳の頃から、ものの姿を絵に写してきた。50歳の頃からは随分たくさんの絵や本を出したが、よく考えてみると、70歳までに描いたものには、ろくな絵はない。73歳になってどうやら、鳥やけだものや、虫や魚の本当の形とか、草木の生きている姿とかが分かってきた。だから80歳になるとずっと進歩し、90歳になったらいっそう奥まで見極めることができ、100歳になれば思い通りに描けるだろうし、110歳になったらどんなものも生きているように描けるようになろう。どうぞ長生きされて、この私の言葉が嘘でないことを確かめて頂きたいものである」

葛飾北斎あとがき


過去を語り、未来に思いを馳せてはいるけれど、それは自分の絵の能力を俯瞰して全体を見、ちゃんと循環し、今(=自分)に戻ってきている。

過去はこうだった、未来は、今こうしていたらそうなるだろう、
だからこそ、今、書く、という風に。
故に、北斎は絵師として名が残った。
または、自分に対して少しは絵が描けるようになってきた、と言えている。

まだ生きて描きたかっただろうけれど、
しかし、同時に一瞬一瞬をやり切っている訳です。
探求したい、その先も見たい、という希望と共に。

違い、ご理解いただけましたか?

さて、以下に更に身近な仕事を例えに
より高次に近づく具体的な違いを書いてみます。

例えば社会貢献ビジネスなどを起業することは他者貢献がわかりやすいですが、
先程言いましたように他人から見たわかりやすさや、賞賛が自己実現や志事の目的ではありません。
そして規模も関係ない。

重要視すべきは、そこに あなたの悦びと満足が伴っているかどうか、です。
それこそ、あなたが今(=自分)に在る、還る、モチベーション、となるでしょう。

あなたがあるカフェの従業員だと思ってください。

 

私事でその業務をした場合、

マニュアルに従い、
マシーンから出たコーヒーを そのまま注ぎ時にスマホをチェックしたいなあ、
面倒だなあ、と他のことを考えながら
決められた時間までその場に居続けられるよう暮すため、生きるため、我慢する。

仕事でその業務をした場合、

同じようにマニュアルには従いますが
常連さんには、積極的に天氣の話をしてみたり、阿吽の呼吸でいつも買う商品を
取り出して見せたり、同僚が具合が悪いようなら声をかけてみたり。
時に、昇進を狙って正社員や店長を目指すことを心掛け向上心も持ち合わせています。
しかしその動機は、給料が上がったらいいな、という私的なものが多くを占めます。

志事でおこなった場合、

例えばあなたが愛の人だとしましょう。
愛とは相手を自分と同じ存在として同等に扱うこと です。

コーヒーを淹れる動作一つにしても(例えマシーンが淹れるにしても)
カップをまるで自分と同じように慈しみ触り、持ち上げ、マシーンにセットし、
淹れられたコーヒーをその氣持ちのまま、お客様へ。
テーブルに置く時は、その氣持ちのままにお客様へ眼差し、添える手が”在る”。

動機は、愛を体現すること、です。

こうしたらカフェで時給950円のバイトという状況でも既に志事をしていることになります。
つまり正社員であるとか、役付きであるとか、起業したとか、大きな会社、小さな会社、パートとか条件で関係ない、むしろ判断してはいけない、ということです。

そう、だから今ブログを読んでいるあなたは今この瞬間から志事は始められるとも言えます。
ただ そこに居るだけでも究極論で言えば あなたを表現し実行できるのだから。
空氣があることに空氣からの愛を感謝し、吸える自分の肉体を愛し息を慈しむように、吸う、吐く。
己を生きる、とは究極そういうことです。

ただし、セリフを話す役者よりも、黙っている演技のほうが何万倍も難しいように、
”在る”だけでの表現は24時間命がけ、それこそ出家した方や修行した方へ任せたいものです。
それぐらい厳しい。スリランカに伝わる仏教に(一番純粋なブッタそのものの教えと言われています)そうした瞑想があるのですが、3時間ぐらいやるだけでほとんど高熱で倒れるようです。
そうでしょう・・・なので、わたしはお勧めはしません。少なくとも、わたしは無理です…

お勧めは、やはり普通に勤め先や、家事労働など労働やボランティア活動など
労力などで体現する方法です。
具体的なことは自分にもわかりやすいですから。

 では長い記事でしたが最後に図の下に注釈も。

私事とは、

言われた(またはマニュアル)まま作業はしている。
が、まったくの受け身。
ひたすらこなし作業。
目的が私利私欲なので、
これをしたら、
仕事をしていたら、
この作業をこなしたら、
怒られない、
貧乏から逃げられる、など
根本が恐怖や不安から始まっている状態。

 

(物質的欲求段階)
マズローの図の”生理的欲求と安全欲求”を行ったり来たり

 

仕事とは、

一般的な人の段階。
生活の為に、家族の為に、働いている状態。
たまに自ら動くこともあるけれど、基本は会社や組織、上司などのヒエラルキーに重きを置く。自分自身の好き、やりがいよりも、保身や生活や家族へ視線内向き状態。
また仕事を私物化している。

(物質的から欠乏欲求段階)
マズローの”安全欲求と社会的欲求”、そして”尊厳欲求”をの幅に居る状態

 

志事とは、

自他ともに、人とは、社会とは、こうあって欲しい、と
その人が感じる想いを発露に、
情熱をもって主体的にその世界観を体現させようとするもの。
例として社会貢献×ビジネスモデルが挙げられる。

常に、「どうしたらより良くなるか」と改善を維持していくもの。それでいて公のもの、という意識。内なる内観を通し、他者、社会、世界へと拡がる状態。

(精神的欲求および存在欲求へ)マズローの”自己実現欲求から自己超越”にいく状態

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