なぜならば、怒りは自尊心を
つまり自分を
守り、主張する為の感情であり、
感情とは、
ご自身のエネルギーだから
必要なもの。
膨大なエネルギーを抑え込む方に知性を使うのではなく活用法、こちらにせっかくの知恵を使ってほしいのです。
そしていったん生まれた感情はどんなものも消せないから、怒れない人は(=怒りをコントロールして抑えこんでる人は)我慢してるからこそ、恨む。
怒ったら、嫌われるかもしれない。怒鳴られるかもしれない。怒られる…かもしれない。
そんな想いや恐れも、あるのかもしれないけど。でもね、黙っていたとしても、恨まれている人は、あなたが恨んでるのがわかるもんです。(黙っててもニュアンスは伝わるもんです、みんな第六感あるんだから)
うう、恨む
ますます、じゃあ虐めてやるよ
うう、恨む
ますます、じゃあ虐めてやるよ
うう、恨む
うら……
とりあえず、やめます。( ;∀;)
というループを産んでしまう。
だけでなく、
わたしはこれこそが問題だと思うのだけれども恨む方は恨めば恨んだだけ感謝出来なくなる、と言う特性を持ちます。本当の心からの、ね。これこそ、なんという言う悲劇!!
例えば偉大な景色に感動する時、ああ、今、生きてること、見れたこと、見せてくれた景色に、来れたことに、一緒に見てくれた人に、このタイミングに、来れた自分に、
と、どんどん感謝が生まれる。
あなたの目の前に心震える何かがあるかもしれないのに、それを認知出来ないなんて。ある意味生きる屍じゃないですか。
だから、です。
虐める人なぞ、この際、どうでもよろしい。恨みを貯めたあなたが哀しい人生を生きてることに、なる。
生きてるだけで
生きてることが、
すでにありがたいのに。
あなたの周りは既にありがたいと感謝に支えられているのにあなたがそれに氣づけない感じられないのだから。
だから、そんな不当なことされたらちゃんとよく観察して、怒ってください。
溜め込んで恨みにしてはいけません。
あなたの為に。
